『新版「読み」の整理学』- 外山滋比古

書影(「読み」の整理学) 読んだ本

 読みました。

 導入部分では「なかなか厳しいことを言うなあ」と思ったが、全体として平易な言葉でつづられており、非常に読みやすいと感じる本だった。

「アルファ読み」と「ベータ読み」

 内容としては、読書するときの思考方法について、知っていることを読む「アルファ読み」と未経験のことを読む「ベータ読み」に分けたうえで、「ベータ読み」の重要性を説くものだ。
 個人的には、一つの区別として、「アルファ読み」は記憶力を、「ベータ読み」は論理的思考力を要求する読み方だ、という風にとらえている。読書を何らかの訓練とするのであれば、より応用の効く「ベータ読み」を重視することは理にかなっている。同時に、既存の知識のみで解釈することは、既存の認識に留まるということでもあり、一歩間違えれば陰謀論に染まってしまうような危うさがこの「ベータ読み」にはあるのではないだろうか。

 もうひとつ、「ベータ読み」の例として挙げられている「素読」は、既知に頼らず、未知を未知のままとして扱う読み方だ。
 当人にとって全く未知のものに対して、知らない、理解できないということは当然で、だからこそ文字という既知の人工物を通して未知を認識し、理解することは非常に難しい。どれだけ言葉を尽くしても、宇宙から見た地球の青さを知ることはできない。比喩を用いれば用いるほど、それは色あせ、何かの代替物でしかなくなってしまう。結局、そのもの自体に到達することはできない。一方で、「素読」は理解を排除した読み方である以上、言葉を言葉として受け入れるしかなくなる。それは未知をありのまま受け入れる態度につながる。

 これらを踏まえると、「ベータ読み」はさらに、既知を利用して妥当に解釈するという論理的・科学的な方法と、未知をそのまま受け入れる哲学的・宗教的な方法に分かれるのではないだろうか。
 実用性が高く、より体得可能なのは前者の読み方で、本質的だがセンスや運が必要となるのは後者の読み方だ。他人に評価されようと思うなら前者で、個人的探究を重視するなら後者がよい、という言い方もできるかもしれない。

「ハリー・ポッター」という未知

 話は逸れるが、自分の経験に照らせば、小学生の頃、発売されたばかりの「ハリー・ポッターと賢者の石」を5回も6回も読んだことを覚えている。当時はイギリスの文化や生活風景も知らない、当然、魔法なんか実際に見たことがないということで、今にして思えばかなり未知を読んでいたように思う。
 一方で、そのように繰り返し読んだ記憶があるのは3作目の「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」までで、以降は、恐らく1回読んだだけで満足してしまっている。もちろん、1作目の発売から時間が経ち、シリーズへの情熱が薄らいでいたこと、年齢を重ねたことで環境や趣味嗜好に変化があったことは否めない。
 しかし少し調べてみると、面白いことに、これは「ハリー・ポッターと賢者の石」が映画となって公開されたタイミングと符合する。(3作目の書籍日本語版発売が2001年7月、1作目の映画公開が2001年12月、4作目の書籍日本語版発売が2002年11月)つまり、繰り返して読まなくなったのは、先述の理由に加えて、いやより支配的な理由として、物語がもはや「未知でなくなった」ということがあるのではないだろうか。

 行ったこともない外国の風景、便利だがどこかユーモラスな魔法、楽し気で冒険に満ちた学生寮の生活……それらは僕にとって限りなく未知で、だからこそ無限の想像に開かれていた。夜、布団の傍の読書灯の下でだけは、馴染めない学校や、親に気を遣いながら暮らす家での生活を忘れられた。
 しかし、映画によって、それはもはや未知でも、自由に想像できるものでもなくなってしまう。究極的にはそんなことはないのだけれど、やはり製作された映像こそが「正しい」ものに思えてしまう。そうやって世界観の想像の余地が削られてしまえば、読む理由はストーリーを追うことくらいしかなくなる。どうしたって魅力は半減する。

 映像化を批判しているわけではない。映画「ハリー・ポッター」シリーズは全て観ているし、シリーズ終了からしばらく経って「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」が公開され、劇場で再びテーマソングを聞いたときの感動は得難い経験だ。既知の再現にはそれだけ魅力がある。
 一方で、未知だからこその魅力というのもある。特に本というのは、読者の想像力を媒介として、未知を魅力に変換できる数少ない媒体であるように思う。だからこそ、僕は「ハリー・ポッター」の世界に浸ることができたし、一種の心の支えにすることができた。

 「ベータ読み」には確かに実用性やトレーニングといった利点もあるが、そうではなく、未知を読めるということ自体に何物にも代えがたい魅力があるという点から、これからも僕はできるだけ「ベータ読み」ができるような本を読みたいと思う。

でも、好きに読めばいい

 この本で提示された「アルファ読み」と「ベータ読み」。ちゃぶ台をひっくり返すようだが、個人的には、本というのは読んで満足できればそれで充分だし、その読み方に優劣はないと思っている。どのような読み方をするのか、それは個々人の嗜好やそのときの必要性で選ばれるに過ぎない。
 結局のところ、僕の目で本を読むことは、僕にしかできないのだから。

参考:基本データ

外山滋比古 / 新版「読み」の整理学 / 筑摩書房(ちくま文庫) / 2024年 / 288ページ
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480439574/

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