積読

読んだ本と読んでいない本の割合を示す円グラフ 日記

 ふと思い立って、蔵書の棚卸をすることにした。

 僕はしょっちゅう、題名や装丁が気になった本を後先考えずに買うという、所謂「ジャケ買い」をする。服や雑貨を買うのと同じように、本を買うことそのものが娯楽になっている。娯楽ならばそれで満足すればよいとも思うが、折角買ったのだし、というか一応は内容が気になって買ったのだから、いっちょ読んでみるか、と一念発起。
 そうして積まれた本を取り崩し、ちびちび読んでいるのだが、本を読むことというのは、如何せん本を買うことよりも労力を必要とするものだ。最初の導入部はまだしも、こみいった議論になってくるとなかなかページが進まない。前段の内容を脳みそに保持しつつ、新たなテキストを解釈する。古典なら脚注に飛んでみて、本文に帰ってくる。そうこうしているうちに何の話だったかド忘れしてしまい、少し前のページに遡る。ああ、そうだったと思い出し、またテキストととの格闘を再開する。
 正直、「それ楽しいか?」と問われれば、答えは否だ。むしろ苦行とさえ言える。金を払ったうえに苦労する、しかも苦しんだからといって何かを得られる保証は何一つないとすれば、読書をする人というのはかなり訓練されたマゾヒストなのではないだろうか。

 そんなマゾヒストの一人として、本を買っては積み、少し読んでは積み、また買っては積み、ということをしてきたのだが、積んでいることへの罪悪感というか、焦りのようなものがないわけではない。「果たして死ぬまでに全て読めるんだろうか」とかね。積読者なら誰しも一度は考えたことがあるはず。

 そこで、現時点で持っている本を、読んだものと読んでいないものに分け、それぞれどのくらいあるのかを調べてみることにした。今後の読書計画を立てるためというよりも、可視化して少しでも安心するためというのが大きな理由だ。そして、その結果がサムネイル(アイキャッチ)のグラフである。
 紙の本と電子書籍を合わせた423冊中、読書中のものも含めて読み終えていない本(未読)が275冊、1回でも読み通した本(読了)が148冊。全体に占める前者の割合は65%、後者の割合は35%だ。

 個人的には、「意外と読んでたな」というのが正直な印象だ。下手したら1割程度しか読んでいないという結果が出ることも覚悟していた。そのくらい蔵書を管理できていなかったということでもある。同時に、蔵書の6割強未読の奴が、読書家を名乗るわけにはいかないな、とも感じている。もとより名乗る気もないけれど。
 また、絶対数としては500冊もないのか、と少し拍子抜けしてしまった。とはいえ、本棚の容量的にも限界だし、ここは500冊を上限として蔵書を管理していこうと思う。そしてその意味では、まだ買ってよいと言える。やったぜ。

 さて、現状把握という目的の一つは達成した。残る目的は、未読の274冊を解消することだ。274冊。今後一切本を買わず、今持っている未読本だけを読むとして、年50冊読んだ場合で5年半かかることになる。年50冊ということは1週間に1冊読み終える計算となるが、学生や高等遊民であればともかく、週40時間以上の労働が定められた民間企業の勤め人にとっては結構なハイペースだ。それでも5年半ということは、現実的に考えると10年以上かかると予想する。

 10年の間、現在の蔵書以外の新しい本を買わない、読まないというのは恐らく不可能だ。ということは、スペース的にも時間的にも遠からず限界がくるのは明らかで、それはつまり取捨選択の必要があるということだ。
 しかし、この取捨選択というのはなかなか難しい。繰り返しになるが、わずかでも興味があればこそ、本を買うのだ。いつか読んだり、役に立ったりするかもしれないと思うと、後ろ髪を引かれて処分できなくなる。
 この原因の一つは、30歳を過ぎても、「これを専門にする」というような決心がついていないことだと思う。好奇心旺盛と言うと聞こえはいいが、要は優柔不断な飽き性なのだ。あらゆる知識、あらゆる技術に精通したいという傲慢で無謀な欲望が、そこにはある。そしてさらに悪いことに、本を読み通すことのできないような怠惰が、その欲望を欲望のままにしてしまう。知識欲だけは一丁前の半端者、それが僕だ。

 いや、ちょっと待った。卑下ばかりしていても堂々巡り。ならばいっそ、中途半端な一生をおくるというのも面白い。Aの分野で100の知識を持つ専門家は確かに希少だが、AとBとCの分野で50の知識を持つ半端者も、同じくらい希少かもしれないではないか。それに、新しい発想というのは、異分野との出会いにより生まれるのではなかったか。僕にそこまでの能力があるかどうかはさておき、興味のままに広く浅く知識を蓄えるというのは、ゼネラリスト気取りの僕の性には合っていそうだ。そのうえ、それが何かの役に立てば御の字だ。

 結局、現状追認の結論となってしまったが、これはもう仕方がない。人間とはそういうものだ。
 とはいえ、これからは意識的に、少しずつでも積読を消化していこうと思う。知りたいことを知っていることにするために、面白さに出会えるように。取捨選択はできないけれど。
 それでは、挟んだ栞の続きを読むとしようか。

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